煙 草 物 語
       愛 煙 と 嫌 煙
                      西 村 忠 弘 論 考
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           目  次



  1、江戸っ子の息づかい

  2、煙草と一人前意識~女性の社会的地位の変化

  3、私の若い頃の煙草のある風景 

    その1 たばこを嗜んでいた祖母

    その2 馬車引きの一服

    その3 軍艦でのひと時の団欒

    その4 特別攻撃隊員の出動

    その5 終戦後の洋もくの思い出

  4、煙草は私にとって日常生活の伴侶

  5、私が感ずる煙草の効用

  6、反喫煙運動の発端

  7、我が国の医師H氏の論文の影響

  8、嫌煙世論の拡がり

  9、世論に迎合する政治家・行政・自治体・医師・マスコミ

  10、行政や親から管理され自意識を虚勢された人間

  11、愛煙家は自信と自己責任を持って煙草を楽しもう

  



 
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 1,江戸っ子の息づかい
 
  正徳三年(1713年)、貝原益軒は84歳の高齢で【養生訓】を公にした。彼
はその中で「命を永らえるためには、酒や茶は節度をもって嗜むべきであり、煙草
は出来れば喫まないほうが良い」と説いた。万事を控えめにし、内なる誘惑に屈す
ることなく己を持することが、養生の要諦であるという、益軒からすれば煙草は益
なく害多きものと思えたのであろう。

 益軒の考えは、今日の予防医学にも通ずるもので、一つの
合理主義思想には違いないが、惜しむらくは人間や社会を静
態的に捉えていることである。憂き世のさまざまな苦楽の中
で、浮き沈みしながら生きてゆく大人たち、その大人たちの
苦しみや悩みを暫しでも癒して、明日への活力を与えてくれ
るのが酒や煙草であるということには思い及ばなかった。。
 酒や煙草は大人同士の付き合いの場を和ませ、心を開いて
気持ちを通わせるのを容易にしてくれる。酒や煙草を上手に
取り入れて日々の営みを活性化させることは大人の智恵であ
り、粋である。そのことを誰よりも江戸の庶民自身が一番良
く知っていたから、刻み煙草とキセルの文化は深く暮らしの
中に根を下ろしていた。
 
貝原益軒   今もなお使われている「一寸一服」という言葉の「一服」
 とは「茶やタバコを一回のむ」ことを言ったが、転じて「一寸の間休む、一休み
する」という意味にも用いられる。 刻み煙草をキセルで一服くゆらせる行為は、
僅か1~2分で終わるのだが、刻みを煙草入れから取り出して、 指先で小さく丸
めてキセルの火皿につめ、火種鉢の火で着火するという喫煙前の行為や、 吸い終
わってから灰落としの縁でキセルの雁首をポンと軽く叩いて火皿の灰を落とし、
なお念を押すように吸い口からプーと息を吹き込み、火皿の中の灰の残り滓をス
ポッと吹き出して、 キセルをしまうまでの一連の仕草は、気分の転換にも役立っ
ていのである。
      (出典;日本嗜好品アカデミー編 煙草おもしろ意外史 文芸新書)
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2、煙草と一人前意識~女性の社会的な地位の変化 
  
   ここで昔でいう大人という意味を詮索してみよう。
 江戸時代の農家や商家の女性の喫煙は、社会的に認められていて、なんら非難
されるべきことではなかった。なぜなら一人前になることの大切さは、女性も男
性も同じだったからである。農家の女性は家事や農作業に従事しうる体力と技能
・知識を身につけ、嫁となれば完全な夫のパートナーであった。そんな女性には、
一人前の証として喫煙が認められた。
 また、町家の女性も強い立場にあった。「御寮さん」「お上さん」などと呼ば
れる大店の女房は勿論のこと、長屋の女房でも頼りにならぬ亭主を助けて働く場
合は、社会的に一人前と認められ、誰憚ることなく喫煙できた。
 これに反し武家の妻は夫の従属物に過ぎず、家の中での消費生活の切り盛りを
するだけで、稼ぎには関わらず、跡継ぎを生む道具として、一人前の能力も働き
も人格も認められなかったらしい。従って一般の武家の妻は煙草を喫まなかった。
 ところが明治になって、士農工商の身分制度が廃止され、民法が制定されると、
江戸時代の武家のしきたりがすべての女性を律することとなった。妻は無能力者
とされ、財産の処分権を持たず、妾が公認され、妻の相続権が否定された。女性
の教育は儒教主義に基づいて、良妻賢母を育てる方針に変わっていったのである。
 明治・大正・昭和初期の時代の高等女学校での教課を男子中等学校のそれと比
べてみると、基礎学科は所謂「読み・書き・そろばん」というように、国語・算
数以外の英語・歴史・物理化学などは申し訳程度で、修身・家事・裁縫・作法・
料理・習字といった、小国民を健全に養育し主婦業に専心できるような女性を育
成することを目標に科目別時間を編成した。
  それは女性がよそに出て働くことを喜ばず、も
っぱら家の中に閉じ込める結果となった。そして
家事労働に従事する女性は「主婦」と呼ばれるよ
うになったが、主婦の家事労働は無償であるが故
に評価されなくなり、従って主婦は一人前とみな
されなくなった。結果的に女性は社会的に「女・
こども」という範疇に一括され、コミニュテイの
中で喫煙の権利も奪われ、女性で煙草を喫むのは
カフエーの女給か職業婦人(今は死語)かという
ように、蔑視の対象にさえなってしまったのであ
る。(出典; TASCたばこ産業史資料 長谷正視)
 良妻賢母(修身の教科書から)
 近年の若い女性は、皆外に出て働くようになったから、堂々と煙草を喫ってい
る。世間の人は彼女達を一人前と認めているから何にも言わなくなった。それで
も良家の一部には女性喫煙をはしたなく思い、嫁に行けないと困ると考える風潮
が未だに完全には消えていない。 
 酒や煙草は成人になってからという明治の法律は今も厳然と生きているが、こ
れは単に青少年の喫煙は体力の成長に良くないとか、非行の原因になるという建
て前だけでなく、元々は一人前思想に由来するものなのである。
 
 
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3、私の若い頃の煙草のある風景(回想)
 
その1 煙草を嗜んでいた祖母
  慶応二年生まれで寺子屋にしかいっていなかった私の祖母は、そりくり返って
いる祖父の面倒を見る傍ら、仕事でも相当なやり手だった。
 曽祖父は佐賀県鍋島藩士だったが、ご維新後窮乏し、その息子の祖父は士族の
株を売って北海道に移住し、慣れぬ農業をやりながら、新十津川村長をやってい
た。
 その後、長男(父)の教育のこともあり、隠居して札幌に移ったが、そこで開
業した質屋の仕事を祖母が一手に引き受けて働いていたそうである。
 そしてよく煙草を喫っていた。勿論刻み煙草である。和室の隅に切ってある炉
ぶちに座り、五徳でキセルを叩きながら、旨そうに食後の一服を楽しんでいたの
を覚えている。
  学校教諭だった親父も大変な煙草好きで、勤めに出る
時は、当時は近代的と云われた「暁」という煙草を愛煙
していた。時には「チェリー」とか「敷島」の箱が置い
てあるのを見かけたこともある。家では経済的な理由か
らか、「白梅」とか「萩」という刻み煙草を常用してい
た。キセルは、燻し銀の村田張りか何かだったろうか、
随分永く愛用していたように思う。
 羅宇屋というキセルの掃除屋が、蒸気噴出しコックを
利用した独特の笛をピーと鳴らしながらやってくる。そ
んな時少年時代の私は、キセルの竹の取り替えと吸い口
・雁首の掃除をしてもらいに使い走りさせられて、その
手入れを興味深く観察していたこともあった。
 父が好んでいた煙草
 その2 馬車引きの一服
 
      昭和の初期、私が住んでいた小樽市に
は、今と違ってトラックなどは非常に少
なく、荷物の運搬は大八車か馬車であっ
た。     
 一般家庭用として使う、カマス入りの
石炭を四十俵くらい馬橇に積んで、坂道
の多い住宅地に運ぶのである。馬橇を曳
く馬に気合を入れるために、皮の鞭で馬
の尻を引っ叩きながら、雪の凸凹道を登
ってゆく。坂を登りきった所で馬を休ま
せ、飼葉を与えて一休みさせる。馬車曳
きも道端に腰を下ろし、徐にキセルを取
り出す。
 それに刻み煙草を詰めて旨そう
に一服喫うと、節くれた掌に、まだ火の
 小樽の雪の坂道で馬車を追う馬車曳き
ついた灰をポンと落とし、掌の上でコロコロ転がしながら、その火の玉から次の
一服に火をつけるのである。ほんのひと時の憩いと安らぎ、その顔は馬を追う時
の表情とは対照的に穏やかであった。

 その3 軍艦でのひと時の団欒
  私の海軍経理学校生徒時代、軍艦「山城」で乗艦実習があった。我々もしごか
れながら夢中で訓練を受けたが、水兵たちは早朝から夜遅くまで、本当に厳しい






 
勤務で、一日中緊張の連
続だったと思う。ところ
が夜になって巡検ラッパ
が鳴り終わり、「煙草盆
出せ」の号令と共に、下
士官・兵は一斉に、木製
の箱にブリキを張った灰
 皿と、古いロープをバラ
バラにし、より直して作
った火縄を用意し、中甲
板の一角に集まり、嬉し
そうに煙草に火をつけ、
乗艦実習をした戦艦「大和」  軍艦の煙草盆
 バカばなしを交わしながら歓談をするのである。本当に短
い時間ではあるが、これは長時間の緊張に耐えた後の楽し
い憩いのひと時であり、人間集団の心情の絆を結ぶ貴重な
時間であったように思う。

 煙草は主に「ほまれ」か「金鵄」、下士官は「光」「チ
ェリー」などを喫っている人もいた。その煙草を媒介にし
た微笑ましい情景が今でも頭に焼き付いている。  
 軍艦の上での喫煙は、士官は士官室で自由に喫えたよう
であるが、下士官・兵は午前の休憩・午後の休憩の各十五
分と、巡検後消灯までの団欒のひと時だけであった。
 
  下士官・兵が喫って
 いた煙草
 その4 特別攻撃隊の出動
 
 昭和17年10月26日、ガタルカナル島東方海面で機動部隊同士の海戦が行
われた。敵航空母艦ホーネットを撃沈し、エンタープライズに大きな損傷を与え
た。わが方は航空母艦2隻に打撃を受けたが、一隻の沈没もなかった。しかし、
この時飛行機92機を失い、ベテラン飛行長の多くが戦死するという苛烈な戦い
であった。この戦いに艦上爆撃隊の小隊長として参加した加藤舜孝中尉に、戦い
の模様を聞かれた同期の豊田穣中尉は、その著書「漂流記」に次のように書いて
いる。
『漂流記からの引用』
 第1次攻撃隊長は山口正夫大尉で、エンタープイズを攻
撃、甲板に直撃弾を命中させて帰ってきた。エンタープラ
イズは大破したが、隊長の山口大尉をはじめ17機編隊の
半ば以上を失っていた。
 加藤は初めて見る航空決戦の熾烈さにショックを受けて
帰艦した。「高度6千米から突っ込んだが、いやあ、敵空
母の対空砲火の凄いこと。あたりはアイスキャンデーの海
さ。この中に入っていったら確実にやられると思ったな。
隊長の機は投弾前に火をふいたが、粘り強く投弾してから
海中に突入した。味方は次々に喰われてゆく。俺も覚悟し
たな」。翔鶴・瑞鶴・隼鷹を含めて第5次まで攻撃隊を繰
り出したが、まだ敵航空母艦は沈まない。司令官は第5次
 特別攻撃隊
攻撃隊の発進を命じた。 「おい、加藤中尉、第6次攻撃隊指揮官としてもう一
度行ってくれい」そう言われた時、 加藤は搭乗員待機室で握り飯を喰っていた。
「まだやる んですか」加藤は衝撃で食べていた握り飯を取り落としそうになっ
た。 「おい、加藤中尉、俺も行くよ。一緒に行こう」。「これが最後だ。頑張
ろうぜ」6期先輩の戦闘機隊長志賀大尉から励まされて、 加藤は食いかけの握
り飯を下に置き、飛行帽をかぶった。
 敵航空母艦に命中弾を浴びせて帰還、艦橋に行って報告。 角田司令官は「う
む、加藤中尉、ご苦労」と大きな声でねぎらってくれた。 「あれ以来バカに煙
草を吸うようになってな。正直言って第2次攻撃隊出発を命ぜられた時は、 別
府あたりでやることはやっておけばよかったなと思ったな。 女も知らんで死ん
だとあっては、本人はともかく、お袋が嘆くだろうと思ってな」 彼はそう言っ
て笑い、また、煙草を喫った。卓の上の灰皿は吸殻が山になっていた。
 
 
 その5 終戦後の洋もくの思い出
 
  私が煙草を喫うようになったのは、大学に入った頃である。当時の配給は大
人一人に対して一日ゴールデンバットか光6本、それも品質の悪いスカスカの
煙草であったが、煙草を巻く機械が戦災で消失し、製造能力が追いつかなかっ
たようで、時には「のぞみ」という「手巻き用刻み」が配給すされることもあ
った。
これを大切な字引を崩したライスペーパーで巻いて、学友と回し喫みしながら
憩いの糧にしていたものである。
 昭和20年の2月に父を亡くし、母子家庭の長男であった私が大学に通うと
いうのは容易ではない。間もなく家計と学業を支えるため、私は進駐軍のクラ
ブに通訳として勤めるようになった。夕方から夜11時までの勤務を卒業まで
続けた。その頃、PXで売っているたばこは、
ラッキーストライク・チェスターフイールド
・キャメル・ラーレー・オールドゴールド・
フイリップモリスなどで、それはそれは旨い、
香りの良いものであった。この勤務の余禄で、
私はその後は煙草に不自由することはなくな
った。
 今日では日本の煙草も世界の一流品になり、
種類も豊富になったが、物資の乏しいあの頃
の粗悪な刺激の強い日本の煙草の味がまた懐
かかしい想い出である。
 勤務していたEMクラブ
   
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4、煙草は私にとって日常生活の伴侶
 
   煙草の起源は、有史以前からの
ものと言われているが、歴史に登
場してからでも五百年の文化の積
み重ねの中で、多くの人々に嗜ま
れてきた。それは人間が知った最
も古い快楽の糧であるとさえ言わ
れているのだが、その間には幾多
の禁制・迫害の過程を乗り越えて
今日に至っている。
 この天からの素晴らしい贈り物
煙草は、私にとっては全くかけが
私の好きな煙草  手作りのパイプ 
いのないものである。朝寝起きの一服、食事後の一服、友人と交流を交わす時
の一服、思案して名案が浮かばない時の一服、それは煙草を喫わない人には表
現できない旨さ・爽快さである。巷間いろいろなことを言われてはいるが、私
にとっては、煙草は人生を味わい深いものにしてくれる、日常生活の中でのこ
の上ない伴侶だと思っている。
 私は昔は日に60本も喫うヘビースモーカーで、ずっとピース系のブランド
と、稀に家ではパイプ煙草を愛煙していた。しかし、昨年卒寿をを迎え今年の
3月から介護老人ホームに入居したため、部屋で煙草を自由に喫えなくなった。
それでも一日十数回はゆっくり狭い喫煙室に行って煙草をふかし「今日も元気
だ煙草がうまい」という気分をしみじみと味わっている。
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 5、私が感ずる煙草の効用
 
 ○ 人間には快適な楽しみというものがどうしても必要である。それは人生に
  やる気を起こさせ、辛い時には我慢に耐え、精神を安定させる源泉にもな
  るのであるから、趣味と共に嗜好は極めて大切な嗜みであると思う。
○ 人間は、肉体的に病気ではないというだけではなく、情緒が安定していて、
  心の豊かさが保たれていなければ、本当の健康とはいえない。人間は常に
  ストレスの中で生活している。それを運動・コーヒー・アルコール・喫煙
  入浴・読書・音楽鑑賞・友人とのお喋りなどで解消させている。ストレス
  の対処法を持たなければ、人間は肉体的な抵抗力を失って、それが原因で
  病を起こす。その対処法の中でも、煙草ほど安直に楽しめるものはない。
○ その上、喫煙は大変生産的であると思う。煙草を喫う一寸した間合いを取
  ることによって、問題の解決策を塾考出来るし、思考の混乱を和らげるこ
  とも出来る。喫煙は能率を増進し、仕事の質を良くし、フラストレーショ
  ンを解消し、自分の満足感を高揚させてくれる。
○ 煙草は、人間関係の中で、気心を通じ、触れ合いを深め、敵意を和らげ、
  気持ち鎮め、決断を促し、閃きを誘い、焦燥感を鎮め、疲れを癒すなど、
  数えあげれば限りない効用がある。
※ 決められた時間に義務的に薬を飲むのとは違って、このような効用を、い
  ちいち意識せずに嗜んでいるのが良いのだと思う。
 
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 6、反喫煙運動の発端
 
  愛煙家にとってこのような貴重な煙草が、今日何故社会一般から迫害される
ようになったのであろうか。
 その発端は1950年代からアメリカを中心にして、大変厳しいというか、
ヒステリックな情念と不寛容な反喫煙運動が巻き起ったからである。
 アメリカという国は昔魔女狩り的な禁酒運動が起こり、法律で飲酒を禁止し
た歴史がある。そもそもの動機はアル中の女性が増えたとか、不道徳な行為の
元凶だというのが理由だったようである。また、第一次大戦後の穀物の節約の
必要性から、麦で造るビールの製造経営者が殆ど敵国ドイツの出身者だったと
いう感情論まであったと言われている。しかし、所詮こんなことで飲酒を抑え
きれるものではなく、この企て(禁酒法)は失敗に終わりは撤回せざるを得な
くなって沈静化していった。。
 ところが、その後のアメリカで吹き荒れた煙草迫害の嵐は、現象としては禁
酒運動と似ているようでもあるが、動機や狙いは一寸違い、より悪質な策略が
あったようである。もともとアメリカ国民には清教徒的な倫理教条主義で潔癖
に傾斜し易いところがあり、煙草は有害、健康第一という庶民感情を煽り、た
ばこ製造会社を法廷に引き出し、陪審員を味方につけて、莫大な被害補償金を
搾り取ろうとしたのである。
 更にそれに政治・行政が加担し、財政赤字の中で福祉・医療費の一部を捻出
しようという政治的策謀もあったようである。
 また、ニュージャージー州での永年のアスベストに起因する発ガン健康被害
訴訟が寂れた後、旨い汁を吸える仕事を失ってあぶれた弁護士たちが、次は何
で長期的に稼げる材料を掴むかという魂胆もその一因ではないかとさえ言われ
ている。
 その結果はどうなったか。
 「夫は○○社の煙草を何十年も吸ったために肺ガンで死んだ。何十億円の被
害補償を要求する」と言った法廷闘争が1950から92年までに8百件にも
及んだ。しかし、これ等の訴訟は一度も成功しなかったが、その後様相が変わ
ってきた。
 それまでは喫煙による被害者を原告とし、たばこ製造会社を被告とするもの
であったが、それ以後は受動喫煙被害に反発する反喫煙運動家、医療提供者な
どが原告となり、被告にはたばこ製造業者の他、小売業界や広告会社も含まれ
るようになった。
 更に、私法的な訴訟であったものが、州財政への利益を求めたり、立法や行
政による煙草規制の強化を求めるなど、公共政策に関連付けての裁判に訴える
ケースが多くなったのである。
 そして遂に1997年6月、主要たばこ製造会社4社は州政府との間の訴訟
で、今後25年間にわたって3685億ドルを支払い、一定の規制を受け入れ
るという所謂「包括的和解」に合意した。
 この和解は、98年になって、まず4州の司法長官が起こした「医療費請求
訴訟」で実現し、ついで11月には残りの全州との間でも成立した。その総額
は前記和解の額よりは少し減ったものゝ2500億ドル(30兆円)という気
の遠くなるような金額である。
 アメリカのたばこ製造会社は、裁判費用と終わりの見えない訴訟対応策に耐
え切れなくなり、「包括的和解」の提起がなされたのを機に、今後個々のガン
・心臓病などによる死亡に関わる法廷闘争を一切しないことを条件に、こうい
う道を選んだと言われている。
 哀れなのは喫煙者だ。この30兆円はその後の煙草販売価格に全部転嫁され
たわけであるから、煙草の販売価格は高騰した。
 アメリカといえば、何につけても世界のリーダー的な存在であるから、この
ような理不尽な運動であっても、他国への影響は大きく、WHOは勿論のこと、
各国の行政や運動にも波及していった。
 我が国はアメリカのような訴訟社会ではないが、反喫煙運動にはこれが大き
な影響を及ぼし、今日に至っている。
 喫煙と健康問題の病理学的な根拠が未だ解明されないまま、ここまでエスカ
レートする仕組まれた世論の圧力は本当に怖いものである。
 
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 7、我が国の医師H氏の論文の影響
 
  我が国で反喫煙の声が大きくなってきたのは、前記のアメリカからの影響も
あるが、それに拍車をかけたのが、
癌研の医師H氏の「統計的に喫煙者は非喫
煙者に比べて肺ガンに罹る率が高い」とか、「喫煙者の傍で生活していた妻は、
非喫煙者の妻に比べて肺ガンに罹る率が高い(受動喫煙)」という疫学論文が
出てからである。(H医師はその後間もなく煙草を吸わないのに肺ガンで亡く
なっている)
 この論文は、厚生省の委託研究として行われたもので、40歳以上の非喫煙
者を妻帯する91540組を16年間(1966~81)追跡した研究結果を
医師会雑誌に投稿したものであった。
 妻の死亡比を夫の喫煙習慣ごとに5つのサブ・グループに分類評価すると9
1540人中の肺がん死亡者は174人(0.19%)という調査結果となった。
H氏は重喫煙者の妻ほど肺癌での死亡のリスクが高いとしている。
 しかしこの調査には誤分類、交絡変数の介入が多数散見され信頼に値しない
等の多くの統計上の問題が指摘されている。
 にも拘わらず、この論文がこともあろうにアメリカの公衆衛生局による喫煙
抑制キャンペーンやWHO提言の根拠としても使われてしまった。
 病気の原因というものは、非常に複雑なものである。それには喫煙者と非喫
煙者の遺伝子・住環境・食生活・就業態様・個人の性格などの多重相関関係で、
明らかに煙草が要因であるという有意差が検証されなければならない。しかし、
多数の肺ガン罹患者・死亡者についてこのような情報を長期に亘って精密に集
積し、統計的解析をすることは至難の業であろう。
 未だ、肺がんの原因は病理学的にも臨床学的にも証明されてはいない。しか
し、素人ながら私はこれまでいろいろな書物や文献を読んでみた中では、肺ガ
ンの誘発要因として疑いをかけられている物質が多々挙げられてはいるが、量
や体質を考慮すると決定的な決め手にはならないものが多い。むしろ殆どの病
気は遺伝子と加齢、あるいは、ストレスに起因するものだと思っている。人間
は自己免疫力・NK(Natural Killer)細胞の減衰によって、
いずれかの部位の病気に罹ると言われているが、ガン細胞が増殖するのもその
一つであると思う。
 
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 8、嫌煙世論の拡がり
 
  煙草を吸わない人の中には本当に煙草が嫌いな人も沢山いる。あの煙草の臭
いが嫌いだと言うだけでなく、その刺激で体調がおかしくなるという人もいる。
 また、昔に比べて建造物は立派になり、冷暖房が完備して、生活空間の通気
性が次第に悪くなり煙がこもる、新しい家の壁紙が汚れる、といった事情もあ
って家庭内でも嫌われる場合もある。これには愛煙家としても理解してあげな
ければならないだろう。
 しかし、「煙草は嫌い、迷惑だ」を通り越して、煙草有害論を背景に、煙草
を吸う人は「自殺者」だとか「人殺し(受動喫煙)」だと極端なことを言い出す
言い出す者さえ現れて、煙草を吸わせない、「煙草を吸う人を一掃することが
人類を守る善」という運動にまで発展してきた。
 健康マニア・似非道徳家・うるさ方の反喫煙運動が燎原の火のように拡がり、
マスコミも行政も、肉体的な健康問題(主として受動喫煙)ばかりを取り上げ
て、その管理・忠告・助言・批判・禁止条項を並べ立て、喫煙を攻め立てるよ
うになってきたのである。
 私はこうゆう話を理を尽くして丁寧に家内に話すのだが、毎日昼のテレビの
ワイドショウなどを見て強い影響をうけ洗脳されているものだから、私の話は
全く受け入れない。何とか煙草を止めさせようと意気込んで、「貴方は私がう
るさいと意地になっている。偉い先生方が皆んなあゝ言っているではないです
か。貴方が肺ガンになっても私は看病しませんよ」と喚いている。孫も一角の
ご意見を垂れるのである。「学校で先生に、煙草を喫っている人の肺は普通の
人の肺と比べるとこんなに真っ黒だという写真を見せられたよ。オジイチャン
煙草は止めなさい」と言うのである。これは「煙草は大人になってから」とい
う教育ではないのである。まるで文化大革命の紅衛兵のようなものだ。こうな
るとちょっとやそっとでは説得不能である。 
 
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 9、世論に迎合する政治家・行政・自治体・医師・マスコミ
 
 先に厚生省から出された国民健康白書の中の煙草について、曰く、「201
0年までに喫煙者を半減させる」ということが書かれていた。政府の審議会で
は、さすがにこれは行き過ぎということで、修正されたようであるが、その理
由を聞くと、一つは「葉たばこを栽培している農家が困るから」、二つ目は
「煙草を売って生計をたてている販売店の人が困るから」、三つ目が「削減の
数値目標を掲げておいて、達成できなかった時は政府の沽券に関わるではない
か」というのであった。
 素直にこの理由を読むと、「煙草は健康に良くないから抑制すべきだ」とし
ながら、当面はこれを二の次にして、耕作農民と販売店のおばさん達の票の方
と、役人の面子を大事にしようというように受け取れる。
 煙草を愛煙しているのは大人である有権者の37%(1985当時)にのぼ
る。その愛煙家を大事にすれば、葉たばこ耕作者も煙草販売店も潤うと何故考
えないのであろう。
 今年も、國の財源不足を補うため、また煙草の増税を決めた。煙草の価格を
上げれば国民の健康に良くない喫煙が減るだろうと言うのは附けたりの理由で
ある。煙草の値上げによる一時的な需要の落ち込みは、半年もすれば回復する
だろう。これで毎年2千数百億円の増収になると財務省は計算する。
 立法府と行政には、共に建前(国民の健康)と裏の策謀(票と財源)が絡ん
でいる。
 また、東京都千代田区では「路上喫煙禁止条例」を施行した。この条例は、
タバコのポイ捨てや人混みでの歩き煙草による他人への危害を防止するという
事を目的としていたようであるが、勢い余って特定区域内での喫煙を禁止し、
喫煙行為自体に対して罰金を科すということになった。「従来のポイ捨て自粛
条例」とは本質的に異なるものになったのである。
 この条例施行前後の新聞記事を見ると、「モラル頼みも限界」とか、「時代
のながれ」と片付けたものなど、やむを得ない規制であるとする論調が殆どで
あった。中には「この果敢な挑戦を前向きに受け止めたい。タバコに対する世
論の動向は~撲滅~という究極の方向にある。日本も本腰を入れて非喫煙者の
保護対策に取り組むべき時だ」と言い切るものさえあった。文筆を業とし煙草
を欠かせない職業のひとつであるマスコミ論説員たちも紙の上ではこのように
発言力の強い嫌煙家の声に迎合してしまう。
 前の神奈川県知事(現在参議院議員)のM氏は、特に知事らしい業績もない
のに受動喫煙防止の運動だけで気張っている。
 自民党に変わって保守層の受け皿になるかもしれないと一時は相当期待され
た現都知事も、都知事としての仕事に行き詰まりが見えてくると、「オリンピ
ックに向けて多くの外国人を受け入れるためには喫煙規制(飲食店などでの禁
煙)を強化しなければならない」と言いだした。
 共に人気と票を得るためには反喫煙を標榜するに限ると思っているのだろう。
 この人たちは、自動車の排ガスや焼き鳥屋の煙は良いが煙草の煙は駄目とい
うことらしい。
 更に驚いたのは、かの有名は信州医科大学の名誉学長がこの間「煙草の第3
次受動喫煙(?)の害に留意した方が良い。喫煙した人の傍には20分くらい
は近寄らない方が良い」と偉そうに忠告していた。この断言にどれ程の科学的
根拠があるのだろう。これで何十万円かの講演料を懐に収めているとすれば結
構な余生である。
 
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 10、行政や親から管理され自意識を虚勢された人間
 
 煙草のことに限らず、最近は他人のことに口を出さずにはおれない類の人が
やたらに多くなった。そしてすぐ責任を国や他の人の所為にする。又それに迎
合するように、行政も国民を公的に何でも管理しようとする。それが、国民の
自立心をますます喪失させ、マニアルや法令・規則依存の愚民を増やすことに
繫がる。

 最近は、煙草は吸わない(喫煙率の低下)、ビールも飲まない(ビール売上
高の漸減)、車も欲しくない(国内販売台数の減少)、ゴルフやテニスにも興
味を示さない(ゴルフ場会員数の減少)、テレビもあまり見ない、勿論本等も
読まない、専らスマホとニューミュージックの二人連れの生活をしている若者
が多くなってきた。。結果として会社の会議でも対話が出来ない、家でもろく
に口をきかない、やがて仕事を止めて家に自室に引きこもり、挙句の果て親殺
し、自殺、強姦、無差別殺人まで引き起こすような人間が出てくるようになっ
た。
 私が退職する頃に入社してきた学業成績優秀な大学卒の新入社員が、私に
「私達は指示待ち世代ですから」と言うのを聞いて一瞬吃驚したことがある。
 行政や親から管理されながら、それに従っていれば良いのだと思って大人に
なったのだろう。こんな人々がこれからだんだん増えて行ったらこの日本の将
来はない。
 政治も行政も良かれと思って国民を細かなことまで管理することに懸命であ
る。それがまた愚民の票を集める糧になると考えているのだろう。
 煙草の規制はその最たるものである。他人に迷惑をかけない、環境を害さな
い事を弁えれば、喫煙の選択は自由にすべきである。
 
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 11、愛煙家は自信と自己責任を持って煙草を楽しもう
 
  日本の喫煙者率は昭和年代までは世界各国の中でも高い方だったが、肺ガン
は欧米諸国よりも少なかったし、世界第一位の長寿国でさえあった。
 またわが国の喫煙人口は嫌煙運動と度重なる値上げに伴って、平成に入って
から急速に減少しているが、肺ガンは年々増加してきている。
 このことから見ても、煙草と肺がガンの因果関係は直ちには結び付かない。
  {表} 喫煙者率の減少と肺癌による死亡者数の推移 
    

  人間が生活を営んでいれば,多かれ少なかれ、悲しみ,憂鬱、癇癪など、苦
痛は必ずあるものだ。
 そうゆう精神的なものを癒す糧となる大人の楽しみの一つが喫煙なのである。
仕事上、あるいは、家庭でのネガテイブなストレスによるダメージは喫煙から
受けるダメージに比べれば遥かに大きいと思う。それなのに、煙草はまるで健
康に悪いということについては議論の余地が無いという「定説」を作り上げて
しまっている。
 そんな中で、愛煙家は煙草は決して悪いものではないと思っているし、煙草
が即肺ガンの原因だなどとは信じてはいない。人間の体質・遺伝子・高齢化に
伴う抵抗力の減衰を考えれば、いづれは何%かの確立で何かのガンになるかも
しれないが、好きな煙草を止めてまで二年や三年長生きしようとは思っていな
いという人(高齢者)が結構多い。行政や嫌煙運動家の圧力に乗せられて、煙
草のささやかな楽しみを自制する必要はないと思う。問題は自分で生きたいよ
うに生きることを自分で決め、自分が責任を取れば良い性質のものである。
 無理をして禁煙をした結果甘い間食(例えば、甘いもの、ジュース・コーヒ
ーやアルコールなどを採って肥満になり、それが故に死期を早めた人もいる。
それに比べれば,肺ガンで死んだ人の方が遥かに少ない筈だ。どれにも表の利
と反面の害がある筈だから、煙草の反面の害だけを、「百害あって一利なし」
と強調すべきではない。
 私の友人にも卓越した名医が何人かいたが、殆どがヘビースモーカーで、
「煙草は巷間言われるほどそんなに悪いものではないよ」と言っていた。しか
し、患者に対してはそれを口にすると藪医者呼ばわりされたり、運動家の抗議
を受けたりすると煩わしいので、「酒は少々なら良いが、たばこは止めれるも
のなら止めた方がよい」と貝原益軒と同じような事を言っていた。
  概して愛煙家は常識派で、精神が安定しているから、嫌煙家に比べると他人
事に対して寛容である。愛煙家は煙の嫌いな隣人には相当気を使い、肩身を狭
くして、慎ましく振舞い、あまり声を出さないでいるのが意地らしい。  
 私は、多くの愛煙家達が今日の迫害に対してじっと我慢しているのが忍びな
いので、一愛煙家としてかねがね思っていたことを率直に披瀝した。
 いろいろ述べてきたが、最後に、誤解をしてもらっては困るので付言するが、
私は人々に煙草を勧めているのではない。抑圧されている愛煙家を精神的に支
援しているだけである。世間で言われている害のことが気になり、心配しなが
ら惰性で喫っているのであれば、それこそ精神的に良くないだろう。それも一
つのストレスに繋がる恐れがあるから、そういう人は止めれるものなら止める
に越したことはない。
 愛煙家も、「煩いことを言うな、好きなようにさせてくれ」といって、社会
生活上気まま勝手に振舞って良いというものではない。マナーとして、また、
義務として、充分考えなければならないことがある。それは、火の元に充分注
意すること、ポイ捨てをして街を汚さないようにすること、煙の嫌いな人には
気配りをすること、喫煙するエリアは喫煙者と非喫煙者の共生を壊さないよう
にすることである。これらのことを、愛煙家全てがしっかり弁えるということ
を前提にして、私の考えを述べたのでご理解頂ければ幸いである。(了)
 
 
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