中国奥地の蘭
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  「中国蘭」、は日本と中国の花奔交流の中で最も古いものの一つとされ、遣唐使以前からと言われています。我が国で本格的に蘭の培養を趣味にするようになったのは、江戸時代中期からです。蘭の種類では春蘭は庶民の間で、風蘭(富貴蘭)は武家社会で、石斛(長生蘭)は公家社会で愛培されていました。 中国蘭は昭和初期頃からだんだん日本に定着してきたようです。
 戦中戦後は,そんなに生活にゆとりなどありませんでしたから、しばらくは趣味者もすっかり減ってしまいました。それでも地方に僅かの種株が残り、火を絶やさぬように培養されて戦後のブームに繋がり、今日に至っています。
 昭和34年には、中国の周恩来総理の招きで松村謙三先生が訪中して各地を視察しましたが、この時初めて雲南・四川地方の蘭を日本に持ち帰りました。周総理は、松村先生が碁と蘭の愛好家であるということで、碁の好きな陳毅副総理、蘭愛好家の朱徳全人代委員長との交流を図られたところ、3名は10年来の知己の如く意気投合し、朱徳元帥は松村先生を自宅に招いて名蘭を共に愛で、記念に数鉢を贈ったそうです。その中には金蝶飛舞・四川緑椅・あるいは雲南雪素などの名品が含まれていたことからも、日中国交再開に向けての中国側の深い好意のほどが偲ばれます。
 中国には揚子江下流の淅江省などで、春蘭・寒蘭を産出しますが、上に挙げた蘭は雲南省・四川省・貴州省など「中国奥地の蘭」と呼ばれているものです  
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 私の蘭棚にある中国奥地の蘭 
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  大 雪 素  豆 べ ん 蘭
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