漱 石 と 蘭
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 夏目漱石は、我々の年代にとっては、青年時代に読んだ「我輩は猫である」や「ぼっちん」を通して、今でも懐かしい身近な存在のように思います。
 その漱石が、あの明治・大正の時代に、東洋蘭をもっていて、後世に残る数々の名作を書いている間に、蘭を眺めて漢詩や俳句を詠んだり、絵に書いたりしていただけではなく、随筆的な小品集の中でも蘭のことを書いていたのですが、これは私も最近まで知りませんでしたし、一般の人々にもあまり知られていないのではないでしょうか。
 「文豪の陰に蘭あり」ということを知って、なんとなく漱石は我々の先輩というか、仲間と言うか、一段と親しみが湧いてきました。時間と空間を超えて、益々身近な存在のように感じてしまいます。
 漱石は慶応3年に江戸で生まれて、大正9年に49歳で亡くなったそうですが、漢詩は中学時代に二松学舎で漢学を学んだせいで、第一高等中学校(旧一高)の学生であった22歳の頃から作り始めたようです。    漱石の漢詩は唐詩、特に陶淵明と王維の詩風に学んだようで、彼の作品、例えば「草枕」の中にも淵明や王維の詩を引用してその傾倒ぶりを示しております。しかし、自らはその模倣に陥らず、自由に独自の境地を詠っている点で、親友の正岡子規と並んで、近代漢詩人として、出色のものがあると言われています。
 松山市道後の石崎保さんという方の書かれた文献から、漱石の蘭に纏わる漢詩を2題ご紹介しましょう。
 以下の2詩は、いずれも大正5年の作とありますから、漱石山房といわれた東京早稲田南町の自宅の書斎から庭を眺めての作と思われます
 
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 石借午唐
 前問院詩
 幽春沈読
 竹風々罷
 石何緑倚
 間處意蘭
 蘭在寒干
 
題自画

[ 訓読 ]
唐詩を読み罷めて 蘭干に倚る
午院沈沈 緑意寒し 
借問す 春風は何処にか有ると
石前の幽竹 石間の蘭

[ 詩の意 ]
 唐詩選を読むことをやめ、縁側に出て手すりにもたれて、庭を眺める。
 昼下がりの庭は、静かで木々の緑はまだ寒むざむと感じられる。
 そっと頬を撫でる風の暖かさに、おやもう春がやって来たのかな、とよく見ると、庭石の前の竹の葉のさ揺れと、石の間に置いてある蘭の上に、その春が訪れているようだ。
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 来偶独幽
 吹解坐居
 竹春覚人
 與風衣不
 蘭意寛到
閑居偶成

[ 訓読 ]
幽居 人 到らず
独坐 衣の寛なるを覚ゆ
偶たま解す 春風の意
来たり吹く 竹と蘭に

[ 詩の意 ]
 世間を避けて静かに暮らしている。
 今日は訪ねて来る人もない。
 ひとり椅子に坐って庭を眺めていると、ゆったりと寛いだ気分になる。
 ふと見ると、まだ冬だ冬だと思っていた私に、もう春ですよとささやいて、庭の竹の葉と鉢植えの蘭の葉を撫でるように、春風がやって来たのが解るような気がする。