神戸水害について


飯 田 和 夫
 
 水害と言えば土木工事と関係がある。その土木工事のお話です。私は事務屋であり、土木については素人である。昔の事で記憶が曖昧である。不正確な事が多いので間違っている処はご容赦ください。
 昭和36年末青木建設(当時ブルドーザー工事)に入社したが入社早々青木益次社長の秘書を命ぜられ、と同時に神戸のゴルフ場工事で工事所長が業務上過失致死罪で起訴されており、担当者がいないので早速担当して欲しいと指示された。よく聞いてみると、昭和36年梅雨時の神戸豪雨で六甲山頂の六甲ゴルフ場の高さ2メートルの石積み擁壁が崩壊し、下の方にあつた人家を損壊して丁度便所に入っていた女性が埋まって死亡したとの事である。民事は解決していたが刑事はこれからで、どうも私が入社するのを待っていた模様である。
 そう言えば私の入社に当たっては、滝明洋次郎氏(取締役福岡支店長)が門司税関秘書課に来庁して懇望したり、大蝶堅取締役が本省関税局に行きお願いしたりしていた。私は未だ大蔵省を辞める決心がつかず、滝明氏には勝手に上の方に話しをされては困ると念を押していたが。又垣水孝一君を煩わして本省には退職しない旨伝えて貰っていた。
 結局押し切られる形で青木建設に入社したが。入社後青木社長から{飯田が入社したのでお得意先等の話しで「うちには法律の専門家がいるのでその意見を聞かないと返事出来ません」と間合いを取る事が出来て助かっている}と言われた。私はどうやら買いかぶられていた様である。
{訴訟全体の説明}
 私が担当する事になり金子弁護士に依頼はしたが、2、3ケ月に1回の公判を池谷郡造元工事所長と一緒に対策を立てる事になつた。
 最終的に一審無罪二審有罪(執行猶予付き禁固刑)最高裁で棄却され有罪が確定したが、足かけ9年の長期裁判となった。私にとっては土木工事の勉強にもなった。
 六甲ゴルフ場は昭和36年5月頃完成し、場所は神戸市中央区にある。生田川が世継山と再度山の間を流れ途中布引渓流を経て布引の滝(雄滝雌滝)となり、神戸のド真ん中を流れて海に注いでいるが、その世継山の頂上にゴルフ場を造成したものである。現在は布引ハーブ園となっている。今の新幹線新神戸駅の近くから世継山の頂上までロープウエーがあったと記憶している。それともゴルフ場までバスでいくのであったのだろうか。
 大体六甲山系は花崗岩質で岩盤が風化し脆くなつている。その山頂にゴルフ場を造る事自体に問題はないだろうか?。地質学上も地形上も危険地域である。造成許可を出した事自体に問題はないだろうか?。
 過去には昭和13年7月3日から5日にかけての豪雨が時間当たり最大降水量60.8ミリ総降水量が六甲山で 616ミリ 市街地の神戸海洋気象台で461.8ミリに及んで急峻な山地から大量の水が芦屋川、住吉川、石屋川、生田川などで一気に海へと流れて決壊浸水土石流などの土砂災害が相次いだ。死者616名、家屋の倒壊、流失3623戸、埋没家屋854戸、半壊6440戸、床上浸水22.940戸。阪神大水害である。それ以降国の六甲砂防事務所が治水砂防事業を実施し、新規工事は全て設計段階からチェックされ厳重な施工監督が実施されている。普通の豪雨で災害が起こるとは考え難い。 
(第一審)
 そうはいつても今回は昭和36年梅雨時の豪雨で石積擁壁が崩壊して死亡事故が発生し施工に瑕疵ありとして起訴されている。何とかしなければならない。幸いにも神戸市、国、道路公団あたりは起訴されていることに同情的である。そこになんとか方法はないかと考えた。第一審で神戸地検は石積擁壁の施工、具体的には裏込栗石が不足していると主張している。
 金子弁護士、池谷氏と再三打ち合わせの結果鑑定証人をたてる事となり、武蔵工大の教授、道路公団の方の了承を得てお二人を鑑定人として申請した。鑑定結果は「一つは石垣の上約10メートルの法面の角度が急であるので崩れた。一つは現場の土質が悪く、その中に木の根、草等が混入したので崩れた」という事になった。そうなるとこれは設計の問題である。一方地検側は神戸大の教授の意見を基として施工の瑕疵と主張し、神戸大教授が証言した。結局石積が正しかったかと法面の設計に問題がなかったのかについて神戸市土木部長等の参考人尋問が行われ問題無しとの証言がなされた。又現場の工事写真では栗石は充分に入っていると見られる。
 とうとう神戸地裁も困って現場発掘をする事にした。二次災害がおこるとの意見や崩れていない場所を掘っても原因は分からないとの意見もあったが。昭和39年半ば頃発掘が行われた。石垣の背部を掘ったが1メートル強掘るのが限度であった。裏込栗石は案外少なかった。写真とか証言では余分に入れた筈だったが。只裁判官は「池谷さんここにも栗石がありますよ」と好意的である。池谷さんは朴訥な正直な田舎のお百姓さんの感じの人柄で心証が良かったのである。昭和40年の一審判決は無罪となった。
(第二審)
 検察側は控訴し舞台は大阪高裁に移つた。
 高裁では双方の主張に対し判断に苦しみまたまた鑑定する事に決定した。然し地元の京都大阪神戸等の各大学はすべて辞退したので遠く九州大学の教授に依頼し鑑定人を受諾してもらった。九大教授は改めて現場発掘検証を希望したので再び発掘する事になった。崩壊してないところを発掘しても意味がないとの意見もあったが。
 昭和41年の発掘は色々な意味で転機となった。裏込栗石は前回より少なかった。底に沈みこんだのではと思ったが。発掘後全員が歩いて生田川まで降りて川のすぐ傍にある古い茶屋に立ち寄り休憩した。その時確か裁判官だったと思うがつつじの小さな木を現場付近から引き抜いて持ってきていた。それを見て茶屋の20代半ばの美人の女の人が「法律を守る立場の人がどうしてこんな事をするのですか」と烈火の如く怒った。その為つつじは持ち帰らず茶屋に預けた。その代りと言うわけではないが皆に茗荷の苗をお土産として渡された。
 昭和41年末に九大教授の鑑定書が提出された。栗石不足が原因との鑑定結果であった。これについて42年春に福岡地裁に赴いて出張尋問が行われた。寒い日で全員が石炭ストーブで暖をとった事が思いだされる。どうも嫌な判決が予想されるのでもう一度資料を再点検してみたところ、昭和36年の豪雨は神戸海洋気象台の記録では降雨量が少ないが六甲山の降雨量はこれより大きい事が分かった。そこで確か三田市の測候所に行って調べてみた。当時の六甲山の時間当たり降雨量と総降雨量が分かったが素人の悲しさでどのように判断して良いか分からない。手元に詳しい資料がないので数字が挙げられないが昭和13年の大水害に迫るか上回る 50〜60ミリ 以上の時間当たり降雨量があったと記憶している。この点について会社の土木技術者に聞いても分からない。
 後年建設省あたりでどの位の降雨量で崩壊するか実験をして突然土砂が崩れ報道関係者を含め犠牲者がでた事が新聞にでていた。昭和41年当時はどの程度の降雨量で崩れるのか時間降雨量で考えるのか総降雨量で考えるのか又地下水の動き土質との関係について定説はなかった。結局裁判所に提出できる資料が作成できないまま昭和42年7月5日から9日までの大水害を迎えた。尚このとき迄に社内関係者は全て退職していた。神戸地検で調書をとられていたのは池谷所長と泉光秋専務の二人である。二人とも退職したので私一人で戦うことになった。当時総務課長と人事課長を兼務し債権回収の仕事もやらされていたので大変だった。午前中は1階の総務、午後は4階の人事、時間外は法律案件の処理と目の回る忙しさだった。
 7月5日から今まで経験した事のない激しい雨が阪神地方に降り始めた。断続的に九日迄続いた。昭和13年に匹敵する降雨量と思う。雨が止んで六甲ゴルフ場の事が心配になり宮崎英男土木部長と一緒に世継山に登った。途中の道には石や木がゴロゴロし水が流れていて歩くより方法がなかった。やっとの事で生田川沿いに歩いて茶屋の付近迄きて驚いた。10人位の人が集まっているので良く見ると何と茶屋が土砂で流されて跡形もない。茶屋の主人が一人でいる。聞くと家族全員が行方不明との事である。彼は当時家にいなくて助かった由。真っ青な顔をしていた。上を見ると丁度ゴルフ場のコースの端から扇状に土砂崩れが数十メートルにわたり発生して茶屋を樹木諸共押し流しているではないか。このコースは当社が造成後ゴルフ場サイドで増設した所である。別の道を通って上に登ってみると何とどのコースの芝生の上にも大量の水が流れていて凄まじい光景である。石積擁壁の全ての水抜き穴から水が激しく噴出している。又石垣の間からも水が流れている。只擁壁は全部大丈夫である。全てのコースがもうコースと言えない状態である。私は今回の土砂崩れは天災と思った。新聞では何故か今回の土砂崩れと増設工事との関連が報道された。この為かどうか知らないがゴルフ場の専務さんが取調べを受けたと聞いている。この専務さんは昭和42年5月頃検察側証人として工事の手抜きがあったと証言していた。今回立場が逆転した。これが影響したかどうか判らないが数か月あとの我々の二審判決では禁錮3ケ月執行猶予1年の有罪判決となった。
 尚後日茶屋の若い女性は布引の滝で遺体で収容され、あとの二人は海まで流され遺体で収容された。痛ましい事である。
(上告審)
 早速上告したが上告理由に当たらずとの事で棄却され池谷郡造氏の有罪が確定した。昭和44年春の事である。私は某有力者の機嫌を損ねて昭和43年8月に形式的に会社を退職となっていた。茶屋で貰った茗荷は転勤に伴い宝塚、三鷹、横浜とどうしても捨てきれずに持ってきて今でも毎年おいしい茗荷をたべている。(終)

(追記)
 判決確定後36期同期の藤井俊彦君(当時大阪地裁判事)に「大体判決文をみると、刑事民事を問わず白か黒のみである。何割の責任があるとか言われると納得できるが」と話した事がある。その後藤井君は名古屋地裁に転勤して昭和53年1月30日の「飛騨川バス転落事故国家賠償訴訟」判決で国の責任が何割と言う比率判決を下しました。新聞で見て流石藤井君だと感心しました。多分日本で初めての判決と思います。刑事裁判では「疑わしきは罰せず」の原則があるので比率ではなく無罪となるのですかね。
 地球温暖化に伴い豪雨被害が多発している。何とかならないものですかね。
 
 昭和47年8月24日 
    富士宮市 1時間当たり 153ミリ
 昭和57年7月13日 
    長崎県下 1時間当たり 187ミリ
 平成10年9月24日 
    高知県下 1時間当たり 129ミリ 
          1日当たり  861ミリ
 現在の通説では降雨量のみで考えれば土石流発生迄の累加雨量と発生直前の短時間降雨量が目安になるとの事の様です。具体的に何ミリかは場所ごとに異なる様ですね。         (終)